ガス灯ロードレースに参加しました。
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今日4月22日土曜日は練習がお休みです。
と、言うことで記事がないので、記事やネタがないときは、歴代バレーボール日本代表選手の事を紹介していきます。今回第1弾はお父さん、お母さん達では有名な選手、伝説の名セッター 天井サーブの猫田勝敏。
東京オリンピックから4大会連続でオリンピック出場を果たしメダルを金・銀・銅の3個を獲得、世界一のセッターと称された選手です。当時は日本はバレーボールはお家芸、世界のバレーは日本中心で動いていました。
当時のバレーは人気もあり、もしかしたら、サッカーより盛んなスポーツだったのではないでしょうか。
中学校の体育の授業でもみんなが?猫田の天井サーブを真似して、体育館のライトを割って、先生にめちゃくちゃ怒られた記憶があります。
猫田選手はバレーの盛んな広島県安古市に生まれ、小学校時にバレーボールを始めました。
中学校時代では9人制でセンターを務めていてバレーの名門崇徳学園に進み、当時の監督の稲葉正文(故人)にセッターとしての素質を見出され、全国大会で優勝を果たしました。
高校卒業後に地元、日本専売公社広島地方局(現在JT)に入社、専売広島(現JTサンダース)に入部しました。
直後に当時の全日本監督の目にとまり、1964年、20歳で東京オリンピックに出場し銅メダルを獲得します。
これ以降、猫田は全日本男子の正セッターとして不動の地位を築いていく。1968年、メキシコオリンピックで銀メダルを獲得し、翌1969年のワールドカップでベストセッター賞を受賞しました。
1972年のミュンヘンオリンピックで念願の金メダルを獲得、日本バレーを世界の頂点に導きました。
1980年のモスクワオリンピック最終予選を最後に現役を引退し、その年の日本リーグから監督として采配をふるっていましたが、胃がんにかかり、1983年9月4日に胃の悪性腫瘍のために死去しました。享年39。
奇策・天井サーブを編み出したことでも知られる。給料の大半を外国のバレー専門書購入に費やし、遠征の連続で家族を顧みることも出来ず、バレーだけに一生をつかった、人生でありました。
*フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』を参考にしました。
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